GOING My Way

地球に優しく、人に厳しい(ェ)そんな大学生サラトラの日記。 サラトラと一緒にいてくれてありがとう。一緒にいさせてくれてありがとう。みんな、大好きだよ。

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詳細は追記で。



朝6時起床
気合で起きるが、眠い。

念のため電話で確認。
私「今日のシフト埋まってますか?」
深夜さん「………(確認中)…埋まってますよ。」
私「わあ。ありがとうございます。寝ます。
風呂入って寝た。

で、稽古。

いちょうがすっきりすっからかん
その分きいろいじゅうたんがきれい
桜もいいが いちょうもいい
銀杏のにおいさえなければ もっといい

稽古はキャッチボールとか呼び合いとかコミュニケーション
ギリシャ神話とお付き合いしまくりんぐ
かごめかごめ
そんな日

片山さんに「じゃ、これコピーしてきて」と頼まれ、事務所へ。
サイズ自動認識コピー機とか初めてでドキドキした。
試しに印刷したら、サイズピッタリだった。
おー・・・すごいやんけ。じゃ、これをあと9枚っと。(決定ボタン押し)
と、その時!
Σ本の紐がページにかかり、文字が読めなくなっている事に気づいた!!!
…が、時すでに遅し。5行ほどまともに読めない状態のコピー出来上がり。
事務所の人「あー…まあ、いいんじゃないですか。おちゃめで☆」
やさしいひとだった(ホロリ)

しぶしぶ片山さんに提出。
「ああ、ここカットするところだから大丈夫だよ」
なんと、紐がかかっていたのはカットする手前の行までだった。
奇跡。

で、あとはひたすら読んでました。30回くらい?
ギリシャ神話、覚えらんねー…。
ぐわんばる。



稽古場の前後は卒論関係の本を読んだであります。
そこで一番、目についたのは「臓器売買」という単語。
日本では禁止されているため、眼中になかったし、提供側やその遺族は、そこまでしてお金が欲しいか、とか思っていた。
しかし、違うなあという考えがわいてきた。
例えば、私の大切な人が心臓病になったとして
臓器適合する提供者がいれば、そりゃお金出してでも欲しいですよ。いくらでも積みますよ。オークションで競り落とすことにだって臨みますよ。私は生きていてほしいから。
そして提供側も、日本だったら無償匿名なので、百害あって一利なしといってもいいくらい、利害はあっても得をすることはない。
むしろ提供側の遺族が何年も何年も移植の選択に頭を抱えながら人生を送る羽目になりかねない。
「提供したけど、ほんとはいやだったんじゃないかなー」とか「提供しなかったけど、あそこで提供していたら助かる命があったのになー」とか。
そこに売る事によって生まれる、お金という利点が出来れば、また話が変わるのではないだろうか。
もしもしれが実現するのなら、私だったら「私の葬式は臓器を売ったお金でやってちょ。売らんでも燃やしてまうんだから、その方がええがね。誰かの命も救えるし。」とか言える。お得。何より身内にお金という形で還元できるのがいい。 
まあ、同じようなことを考えて、実際にやっている人なんて、世の中にはごまんといるんだろうけど。
これ、もうちょっと考えたい。

明日はひっさびさの観劇×2&念願のSANGENTONですよ!!!!!
楽しみにしております♪

おやすみなさい~

※厨二病とか注意

















演劇の皆さん(特に世代違う人)でお酒を飲みかわしますと、なんというか、
研修期間含む3年目までという演劇経験が実に浅い私には、演劇でお話しできることが特にない。
とはいえ、エコとかそういう話も、興味のある人しか掘り下げてお話しすることは出来ず…。
となると、お話するのは大学のエコ以外の部分だとかになってくる。
それは、アコギくらいなら平和だが、お遍路とかNPOとかになってくると、私の説明から始めなきゃいけなくなる。
そうすると、大体の人は「ええ~!?そうだったの~!?」と、驚きの反応を示す。

今でこそ人好きで天真爛漫な私だが、その頃は真逆の人間だった。
人が苦手で、人の悪いところを探しては、自分が勝っている部分を挙げて飾り立てるような人間だった。
元気な割に小心者で、自分に自信がなくて、挙動不審な面が多々あった。

ええ~!?そうだったの~!?
そうでしたよ。

え、じゃあひきこもりとかもしてたの?
してましたよ。
…え、そんなあっさりと…。

あっさり言ったら、今度はほかの人が驚愕してた。
そりゃ、今でこそ元気いっぱいアクティブ派の自分だからあっさり言えるわけで。
恥じらいやら嫌悪感を持っていた時期もあったが、この時期があってこその今の私だと思っているので…。
とはいえ、まあ、さすがに打ち明け過ぎたか。話しても楽しいこととかないしなぁ…。
でもあれだ、更にくらあいうつ時代は話していないので、まだセフセフということでwww
ここまで書いて、大学の先生にも同じこと言われたのを思い出した。

そんなこんなで、コミュニケーション能力の遅れを改善しようと目下奮闘中の身であります。

あー、やっぱりこういう話だけで終わってしまうのはあれなので。

なんというか、ここまで自分から変わろうと思えたのは、周囲の人々の優しさあってこそなので。
それこそ、友達や先輩や先生が、お宝のようなものをたくさんたくさんくれて、
上に行けるということ、時間に命を懸けていること、自由で良い事、ありがとうと伝えることがどれだけ素敵かということ、
他にもたくさん、どれもかけがえのない事を教えてくれました。
良い人間に出会えて、もっと人が好きになりたいと思って、こわかったけれど、自分から良い人を探すために動いてみたら、開いてみたら、いい人ばかりだった。
こうして人が好きになった。自由な自分にもなれた。飾らない、無理しない、なりたい自分にもなれた。自分が好きになった。

これはほんとに、周囲の皆さんのおかげですよもう。
私の事を、いいっていってくれたり、面白いって言ってくれたり、好きだって言ってくれたからこそ、私もありがとうを返したくなったのですよ。
未だに周囲の人々は優しい人ばかりで、頭があがりません。有難いです。
ありがとうございます。
おそらくこれを人は「愛」という。

ちょっと幸せに浸っていたらこんな時間に。
はてさて、明日も素敵な日でありますように。

おやすみなさい~
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