GOING My Way

地球に優しく、人に厳しい(ェ)そんな大学生サラトラの日記。 サラトラと一緒にいてくれてありがとう。一緒にいさせてくれてありがとう。みんな、大好きだよ。

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食卓の机でノーパソやっているからでしょうか
肩が凝って仕方がない
首が痛い
脳幹が痛い
寝ると枕にあたってますます痛い
順調に体調が崩れております

卒論提出まであと2日って、どういうこと…?

もりもりやってまーす

卒論終わったら
セブン限定のビール飲んで
コート買ってもらって
それ着てでかけて
メルヒェン聴いて
DVD観て
それ観てメイクしてでかけて
ハムレット読んで
初詣行って
役者になるんだー!!!!!!!
うおおおおおおーーーーー!!!!!

いえ、正直コートが一番楽しみですw

でかけたいよお。でかけたいよお。
うぐう。がんばる。

追記は卒論の話
おやすみー


11月中旬からは、しっかりやっていた卒論でしたが
ご存じのとおり、12月中旬には役者になってしまったので
文字の集約にするしかなくなってしまったのでした。
あのまま卒論やっていたら
きっと、素晴らしい卒論ができていたことでしょう。

私にとって
今の脳死判定技術では
脳死は、人の死ではない。
臓器移植のために作られた死だ。
しかし、その尊い死を持って治療された人は、尊い生を得る。

生きたいという気持ちがあり、助けたいという気持ちがあれば、そこに臓器移植の意義があるだろう。

1人1人によって死は様々である。

私にとって死とは、2度訪れるものだと考えている。1つはその人に会えなくなった時、もうひとつはその人が忘れ去られた時だ。

…あれ、でも今ここに書いてみて、ちょっと違うなって思った。
やっぱり、心臓が止まった死は、突然に立ちはだかった壁、白と黒と重圧な空気と音。変な世界。
突如として奪われた命。噴出する過去の記憶。失ったその人。
いない。
その時の生きるとは、息遣いであり、生への執着であり、瞳の輝きであり、肌のぬくもりであり、心拍数だの人工呼吸器だの機械音でも何でもいい、心臓が動いている間に立てうる音という音である。
それらがあるだけで、私は生きていると感じた。
それらがなくなっただけで、私は死を感じた。

だとしたら、やはり
脳死は生きている
植物状態も生きている
回復だって見込める
お金を理由にしたくなんてないのに
時間を理由にしたくなんてないのに
それが理由
それが事実


考え方を少し戻す
ものことなんでもいいから何か残っていたら、生きている
その人が生きている
すると、誰一人死んでいないのかもしれないと思う
けれど、ああ、顔も名も知らぬ人、浮かばない人、
それがちょっと悲しい

さてさて、早めに寝ますー
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