GOING My Way

地球に優しく、人に厳しい(ェ)そんな大学生サラトラの日記。 サラトラと一緒にいてくれてありがとう。一緒にいさせてくれてありがとう。みんな、大好きだよ。

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さて
まずはお久しぶりです。
ながらく放置しておりましたが、元気にやっています。

今回、これだけの期間を過ぎても尚ブログを更新しようと思ったのは
他でもない、今回のトライフル公演『江口君と私』で得るものがたくさんあったからです。

ツイッターではとても語り切れない、とても語れない思いを胸に、約3年ぶりにブログを更新します。
まあ、あの、想像つくかと思いますが、
ここに書くということは、裏も表もなく本当に素直に書くので、
見たい人は、そういうの平気な人だけ見てください。
これ見た後に、見る目変わるわとかやめてください。
書いておきながら申し訳ないですが、
あくまで私の記録用です。ご了承ください。
日常に戻ってからでは書けないことを、ここで。

近況報告は、まあ、気が向いたらってことで。
ではでは。

まず、今回の公演前のことを。

4月に社会人になることを控えていた私は、2つの客演依頼を断り、某会社に入社した。
今思えば、タイミングが悪かったんだと思うが、当時の私としては後悔の連続だった。

入社した会社が大層ブラックで
その上、私が演劇をやっていると知って否や、見る目がガラッと変わり、虐げる人も現れた。
そんな中で、11月に控えていたトライフルの公演予定だけが唯一の支えだった。

が、しかし
公演は無くなり、もうこれから舞台に立てないのかと不安に感じた。
舞台に立ちたいという思いだけ、強く、厚く、積もっていった。

そんな折に、会社の忘年会で、帰り際に先輩社員がどこかから私が演劇をやっていることを聞きつけ、公演の宣伝をされた。
その時私の口から出た言葉は、「観たいです!いえ!むしろ出たいです!」だった。

芝居に、飢えていた。

ここから話は光の速さのように進んでいった。
先輩社員からの言葉は「じゃあ出る?」「今から挨拶行く?」だった。
そのまま先輩社員の車に乗り込み、劇団の代表へ挨拶。
時代劇とか、やろうとも思わなかった私だが、何事も経験だと思ったのと、舞台に立てるということが勝り、出演を決めた。


ここで問題だったのが、「入団しなければ」出演できなかったこと。
客演の話もしたが、出来なかったことだった。

失礼な話だが、その時の私はとにかく舞台に立ちたかった。
演劇の世界に、ずっと触れていたかった。
観る側じゃなくて、やる側に。
それで、「入団」という言葉に違和感を感じながらも、入団することにした。
そんなだから、片山さんには話せなかった。

確かに、お世話になった劇団の人たちは、皆さんとてもいい人たちだったし、一緒にいて楽しかった。
メイクや着付け、大道具の勉強もさせていただけて、とても自分の身になった。
舞台だけじゃなくて、アンパンマンショーや現場の仕事にも出させてもらえた。お化け屋敷とかもやった。
すごく、すごく、感謝している。

でも、だめだった。
どうしても、芝居に対する取り組み方、目指している場所、
やっていれば好きになれると思っていた、真剣に取り組める様になると思っていたが、そういうものではなかった。
お世話になった団体には本当に感謝しているが、みんなにとっての代表は、私にとっての片山さんただ一人だった。
ただ、それだけだった。
だから、優しい嘘をついて、私はお世話になった団体を去って行った。

これはまた別の話だが、
トライフルで団員募集がかかった時、二つ返事で私は入団した。
周りの人も「本当にいいの?」「えっ?トライフル?」みたいに言ってくるから、
私の選択はそんなにおかしかったのかと疑問に思っていた。
けれど、今回別の劇団にお世話になって、はっきりとした。
私には、トライフルしかないのだ。

けれど、このことが、
すごく、すごく、私の中で古傷のように残っていて、
片山さんに何も聞かずに他の団体に入団したことや、
他の団体に入団したことで、片山さんを裏切っていたのではないかとか、
どちらも近づき合おうとしない所を見て、思っていた。
というか、今でも思っている。
申し訳なさと、後ろめたさで、いっぱいになる。

それが乗っかりつつの、今回の公演だった。

ここからは、稽古中に教えてもらったことをぽつぽつと。

お世話になった団体の影響や、社会人経験の影響やらで、なんだか変な気の使い方をするようになった。
どこへ行っても力がないと思ってた私には、自分のやりたいように時間を作ることは不可能だった。
本当は休みたいのだけれど、それが言い出せなくて。
気づいたら泣いていた。
トライフルで泣いたのは、鶴ちゃんの体の不調を思わず笑ってしまって悔やんだ時以来だった。
そうして気を使わないことが、トライフルなのだと、教えてもらった。
でもこれは、今でもずっと課題。

片山さんは、私に「才能がある」といった。
それからずっと、その言葉を反芻して考えていた。

私は、私自身の役者としての「才能」というものがなんなのか、分かっていなかった。
周りが「すごい」「勢いがある」って言ってても、私には自分のすごさがわからなかった。

そこへ片山さんが「資質」の話を持ち出した。
私の資質は、普段うるさいくらい元気な所と、稽古が始まってからの静かさ(集中してみていること)だという。
ははあ。そうなんか。と思いつつ、それでも「才能」について考える。

今回の舞台は、本当にやることが多くて、
自信のないギターと、15分で生ける生花の2大ミッションがあった。
特にギターに至っては7か月しか触っていなかったし、1曲しか弾き語りしたことなかったから、自信がなかった。
そんな折、舞台で「才能」だの「資質」だの出せるはずもなく
すっごく、ダメ出しをくらった。

才能は嘘だったのか?
資質が何故出せないのか?

セリフに「駄目だ、駄目だ!」と連呼するシーンがあるが、
それを私だから言わせているというのも、とても引っかかった。

「芝居がちょっと嫌になってるだろ?」と片山さんが言った時、即答できなかった。
けれど、よくよく考えてみると、芝居じゃなくて、そのギターや生花が不安で嫌だっただけで、
芝居をやること自体は嫌じゃなかった。
けれど、後々、それらも含めて芝居なのだと思い、
才能があると言っていたのに、何もかもがうまくいかない自分に、頭の中が混沌とした。
一体私が今までやってきたことって、何だったんだろう?
私はどうしたら舞台に立てるんだろう、と。

あまりにもダメで、稽古一日潰してしまうくらいダメで、榊に相談した。
榊はたくさん教えてくれた。
目的を明確にすること。大目的、中目的、小目的。
才能だけじゃなくて技術も必要だということ。
とにかく考えること。考え付くまで考えること。
フツーにしていればいいということ。

そうして考えて、着いたところは、「トライフルで芝居ができる」ことだった。
ギターや生花にいっぱいいっぱいで、こんなに当たり前で、こんなに嬉しくて大切なことを忘れていた。
たどり着いたとき、思わず泣いた。
そこからは、迷いなく、元気よくやれた。
ついでに、そんなこんなでいっぱいいっぱいだったから、相手との関係が取れていないことも分かった。

でも、ここからも片山さんから課題が与えられ続けた。
表現に対して、「自分から何か持って来い」と言われた。
正直、この時思ったのは、「話が違うやーん!」だった。ずっともらってきたからだ。
今まで与えられたものをやってきただけだった私には、自分からやるというのを本当にしてこなかったんだと自覚した。

でもこれも、一日ぐるぐる考えて、
持ってきたら、認めてもらえた。
ああ、言葉だけじゃなくて、表現も、こうして持ってくることが必要なものだと感じた。

体のこと
とにかく、体も、ちっとも向き合えていなかった。向き合おうとしなかった。
だから、のどの奥がずっと痛かったのに、無視をして、しゃべり続けた。というか、声が出ない体を認めたくなかった。
片山さんに言われて病院に行くと、声帯にタコができていた。
ポリープではないのだが、厄介なものが出来ていた。
1週間や2週間で治るものではないと医者から告げられた。
そこから毎日病院に通って、吸入を吸い続けた所、奇跡的にタコは無くなった。

小屋に入ってから
公開ゲネ前日、通し稽古で喉が枯れた。
片山さんから「役者むいてないぞ、まじめに。」
落ち込んだ。そして体をないがしろにしていた自分をひどく悔やんだ。

その後の稽古で、
いかに自分が今まで体を使っていなかったか、よくわかった。
手抜き。
そのせいで、のどまで負担がかかり、声が出なくなっていた。
背筋を伸ばして、テンカウントの体制を作れば、声はちゃんと出た。
手を伸ばし切って、止まっていれば声は出た。
体を固定しないから、ちゃんと出ていなかった。


そして、公開ゲネと本番。
自分の才能がわかった。
舞台になると、稽古の時とは比べ物にならないくらい、生き生きとしている。
なんだこれは。
稽古の時とは違い、演出家のいない開放的な舞台、お客様に観て頂ける舞台。
これが、私の才能。本番役者。
高校生の頃からずっと謎だった、自分の魅力について知れた瞬間だった。

でも、言葉の圧力が。
エロ口君に「だったら自由に生けてないで、たまにはちゃんと生けてみれば?」というセリフがある。
生けると、生きるがかかっている言葉。
小倉さんは「やだよめんどくさい」というが、私にはとても言えなかった。
いや、今までそれを散々言って来たり、行ってきていたことを突き付けられて、とてもでないけど言えなかった。

だったら自由に生きてないで、たまにはちゃんと生きてみれば?
片山さんから、私への、願いだった。

ちゃんと生きることが、台本もらってすぐはわからなかったけど、
体のこと、人との触れ合い方、才能のこと、持ってくること、
役者として必要なことを、ちゃんとすること。
人に与えられるばかりでなくて、自分で与えること。
それができる役者になることだった。
助演が出来る役者になることだった。

本当に、たくさんのものを得られた公演だった。



そして、これは彼女との話。
結局彼女からは、公演案内のメールの返信がなかった。
昨年新人戯曲賞にノミネートされたことも知らず、泣いたこともあった。

ああ、そういうことなんだなって。

私が信じてきたものは、夢見てきたものは、
結局、二人で共有していたものではなくて、
ただただ、私が描いて、温め続けていただけという話だったのだと。

だったら

私は演劇人として、俳優として、新たな一歩をここで踏み出さなければならない。
それがどんな新しい夢になるかどうかはわからないが、とにかくそういうことだと。
まあ、まだ確証はないんですが。
ほぼ、それで決まりのようです。という話。

まあ、長々と書きました。
正直眠くて、2割位しっくりきてませんが、
もう夜も遅いので、日常に戻ります。

なので、これからもがんばるので、
よろしくお願いします。

本日は、お疲れ様でした。
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